2006.07.10

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マテラッツィが知的照明を全国に広める!?

イタリア優勝で知的照明が全国に広められるという、信じられない現象が起こっています。
そのキッカケになったのがフランスとの決勝戦でフランスにPKを献上し、その後すぐに同点ゴールを挙げたインテルのお騒がせ男、マテラッツィ。

イタリアが優勝し、一躍日本でも名前が知られるようになったせいもあり、今日はMSNから「マテラッツィ」で検索してこのブログに来る人が多い。(MSN検索結果はMSN検索結果 "マテラッツィ"へ)

そして検索結果の2番目にこのブログのRoad to me ... | 知的照明とネスタ=>マテラッツィの記事が!!

ちなみにこのマテラッツィ、ペルージャ時代の中田の同僚で、DFとしての得点記録を持ってるらしい。
いつもPKを取られる時には必ず彼がそこにいる印象があるけどね(笑

サッカー名選手館 マルコ・マテラッツィ(Marco Materazzi)

 大柄な体格を活かした空中戦に絶対の自信を持ち、セットプレー時には得点も期待できるイタリア代表CB。旺盛な闘争心も持ち味の一つで、チームの矢面に立って試合を戦う。  監督として実績を築き上げたジュゼッペ・マテラッツィの息子として生を受け、父の仕事の影響で幼い頃は各地を転々とする生活を送る。少年の頃に母が亡くなりその直後に父が再婚したこともあり荒れた時期も短くなかったという。  1990/91シーズンにメッシーナでキャリアをスタートし、翌シーズンよりアマチュアのトア・ディ・クイントでプレー。1993年にようやくセリエC2でプレーする機会を得ると驚くべきパワーで脚光を浴び、当時セリエBに属していたペルージャへと移籍する。当初は活躍の場が無く、セリエCのカルピへとレンタルで放出されるが、この移籍で大きく力をつけると1996/97シーズンにペルージャに復帰、1997年2月2日のインテル戦で23歳にして初めてセリエAのピッチに姿を現した。  1998年にはイングランドのエバートンへと移籍するも1年でイタリアに復帰すると、2000/01シーズンにDFながら1シーズンで12得点を記録する大活躍。ダニエル・パサレラの持つシーズン11得点の記録を打ち破り、DFとしての歴代1位の記録を作り上げた。  その活躍に目を付けた数々のビッグクラブによる争奪戦の末、2001年に憧れだったネッラズーロのユニフォームを身にまとう。同年4月にはイタリア代表として初キャップも記録し急成長を遂げると、インテルでは常時試合に出れないまでもクリスチャン・ビエリと並ぶクラブのシンボリックな存在にまで上り詰め、最もティフォージに支持される存在となった。